韓国のみならず、世界的にも稀有な映像作家として、30年間にわたって精力的に活躍してきたホン・サンス。
そんな彼が2023年から25年にかけて発表した5作品を5ヶ月にわたって連続公開する企画『月刊ホン・サンス』が日本で始まる。
最初に上映されるのは、ホン・サンス監督作に三度目の出演となる名優イザベル・ユペール演じるフランス人女性とソウルに暮らす人々との出会いを見せる『旅人の必需品』だ。
奇妙な語学レッスンから浮かび出る人間の本質

若い女性とフランス語の個人レッスンをしている女性イリス。しかし、会話はなぜか英語で行われている。イリスが女性に質問し、彼女の気持ちをフランス語で書きつけたメモを繰り返し読ませることが、どうやら彼女の教え方のようだった。
その後、新しく生徒となった원주(ウォンジュ)の家を訪ねるイリス。パートナーの해순(ヘスン)と一緒に彼女を迎えたウォンジュは、教科書もなしに授業をするというイリスの言葉を怪訝な表情で聞いていた。
「人間のすることなど、結局は同じことの繰り返し」と言うかのように、登場人物や台詞、場所がわずかに違うシチュエーションを層のように重ね、人間というとらえがたい存在の輪郭を浮かび上がらせてきた홍상수(ホン・サンス)。
近年は監督や脚本だけでなく撮影も自ら手がけるようになり、作風もより自由で軽やかになっている。『旅人の必需品』からも、一息で描いた水彩画のような風通しのよさが感じられる。

イザベル・ユペールの軽やかな演技

もちろん、今作のそういった印象は『다른나라에서(3人のアンヌ)』(12)『클레어의 카메라(クレアのカメラ)』(17)に続いてホン・サンスと組んだイザベル・ユペールという俳優のすばらしさが大きく貢献している。
24年11月に日本で上映された一人芝居『Mary Said What She Said』で、長年の鍛錬を感じさせる力強い演技で観客を魅了した彼女だが、ホン・サンスワールドのなかでは、まるで妖精のような、ミステリアスでチャーミングな存在となる。
プレス資料に翻訳が掲載されているベルリン国際映画祭の記者会見では「明確な物語や人物像があるわけではないので、自分をそこに投影するのはとても難しいんです。でもそこが気に入っているところでもあります。役や物語以上のものがある。現在という瞬間を捉え、人がある世界と向き合う状態を映し出すやり方があるんです」と、監督の演出について語っている。

劇中にはユン・ドンジュの詩も登場

一方、同じ記者会見でホン・サンス監督が口にした「私が信じているのは、人と人とのあいだに起こる出来事なんです」という言葉は、「あなたが今、心から感じていることはなんですか?」という問いかけから始まるイリスのフランス語の授業と重なる。“旅人”である彼女の言動は場違いで笑いを誘うが、同時にその真剣さが人の心を動かす。
また、劇中では彼女が出会う美しい詩として、윤동주(ユン・ドンジュ)の『서시(序詩)』と『새로운 길(新しい道)』が登場。韓国語で紹介するのではなく、そばにいる人がすぐにスマホで英訳を見せてあげるというところが、おもしろい。

原題:여해자의 필요
邦題:旅人の必需品
公開:(韓国)2024年4月24日(日本)2025年11月1日
監督:ホン・サンス
出演:イザベル・ユペール、イ・ヘヨン、クォン・ヘヒョ、チョ・ユニ
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