경상도(慶尚道)の地理と歴史をひも解きます。「もっと知りたい!慶尚道の地理と歴史〈前編〉」と「もっと知りたい!慶尚道の地理と歴史〈中編〉」記事も併せてご覧ください。
朝鮮戦争と4・19学生革命
朝鮮戦争
1950年、6.25 전쟁(朝鮮戦争)が勃発して間もなく、韓国軍は後退を続け낙동강(洛東江)以南まで追い込まれた。
韓国軍と国連軍は洛東江を最終防御ラインとして戦うことになるが、대구(大邱)や부산(釜山)をはじめとする慶尚道に多くの避難民も押し寄せることになった。
後に인천 상륙 작전(仁川上陸作戦)の成功により、一時は中朝国境まで戦線が北上するが、中国軍が参戦したことで、現在の休戦ラインで戦線が膠着、1953年7月に停戦が成立した。
釜山などは、結果的にさまざまな地方出身者が集まった地域となったが、第19代大統領に選ばれた문재인(文在寅)も、両親が함경남도(咸鏡南道)の흥남(興南)から避難した先の경상남도(慶尚南道)거제(巨済)で生まれている。
4・19革命
1960年には이승만(李承晩)大統領を下野・亡命に追い込んだ4.19 혁명(4・19革命)が起きる。
これは3月15日の大統領選挙を前に、野党候補の遊説に参加できないよう、大邱の高校が日曜日も登校するよう生徒に要求したため、それに反発して起きたデモに端を発しており、2.28 대구 학생 의거(2・28大邱学生義挙)と呼ばれている。
選挙当日には마산(馬山)で不正選挙に対するデモが起き、これを鎮圧する警察側との衝突で多数の死傷者が出て、4・19革命へとつながった。
朴正熙政権
4・19革命によって李承晩の独裁政権に終止符が打たれたものの、1961年に구미(亀尾)出身の軍人、박정희(朴正熙)がクーデターを起こし、権力を掌握した。
現在では「보수 아성(保守の牙城)」として知られる大邱だが、いち早く近代教育が実施されたこともあり、前述した国債補償運動や2・28大邱学生義挙が起こるなど、本来は進歩的な気風の都市であった。
4・19革命直後には、革新政党である경북사회당(慶北社会党)や教師労組が設立され、進歩系のよりどころにもなった。
しかし、1963年に大統領に就任した朴正熙は、自分の地元ともいえる大邱の進歩系人士に対し徹底的な弾圧を加える。
その一例が인민혁명당사건(人民革命党事件)で、「北の指令を受けて国家転覆をたくらんだ」との罪で、1972年大邱出身の5人を含む8人の進歩系人士が死刑に処された(後に事件は中央情報部による捏造と判明。2007年再審で無罪が言い渡された)。
その一方で、朴政権は大邱の人材を多く中央に登用し、TK1人脈の構築を図るとともに結束を強めた。
朴正熙は、유신체제(維新体制)を敷き、権力の座に居続けたが、1979年に同じ亀尾出身の側近、김재규(金載圭)の銃弾に倒れた。
当時、野党総裁で釜山を基盤にする김영삼(金泳三)が国会で議員を除名されたことに反発して釜山・馬山地域で부마민주항쟁(釜馬民主抗争)が起こり、戒厳令が敷かれた。
この抗争への対応を巡る意見相違が殺害の原因だと言われている。
経済政策
朴正熙政権は経済政策にも力を入れた。慶尚道との関連では、1962年にはまだ市にもなっていなかった울산(蔚山)を特定工業地区に指定し、開発をスタートさせた。
蔚山は、こういった工業・産業団地に初めて指定されたケースで、1960年代後半にはここに현대자동차(現代自動車)が入り、蔚山の顔とも言える企業になった。
また、工業化を進める上で朴正熙政権の肝いりで行われたのが、現在はPOSCOの名で知られる포항종합제철(浦項総合製鉄)だ。
浦項総合製鉄により、동해(東海)に面する一漁港にすぎなかった浦項は韓国有数の工業都市に発展した。
その他、電子工業に特化した亀尾国家産業団地、機械工業に特化した창원(昌原)国家産業団地などが造成され、外国人投資促進のために馬山には輸出自由地域が造成された。
大統領と慶尚道
韓国では、何かと慶尚道と전라도(全羅道)の対立がクローズアップされるが、このような地域感情が現れるようになったのは、朴正熙政権以降といわれている。
経済政策で出身地の慶尚道を優先させ、中央の人事においても慶尚道出身者を優遇したというわけだ。
また、大統領の3選を懸け、全羅道を基盤とする김대중(金大中)と激しい戦いを繰り広げたことも要因になっているといわれる。
事実、朴正熙以後11人の大統領のうち、전두환(全斗煥)、노태우(盧泰愚)、金泳三、노무현(盧武鉉)、이명박(李明博)、박근혜(朴槿恵)、文在寅と、8人が慶尚道出身者・縁故者で占められている。
また「保守対進歩」という構図で見ると、慶尚道は1987年の大統領直接選挙制の実施以来、常に保守系候補が他の候補の得票を上回る保守の票田となってきた。
しかし近年、慶尚道も行政単位ごとに特色が出るようになってきている。文在寅が圧勝し大統領に選ばれた2018年5月の第19代大統領選挙では、やはり保守系の홍준표(洪準杓)候補が大邱、경상북도(慶尚北道)、慶尚南道で最も多くの票を得たが、蔚山と釜山では文在寅に投票する人が多かった。
慶尚道ゆかりの財閥、そして韓国プロ野球
慶尚道は政治家だけでなく、韓国を代表するような企業の創業者を輩出してきた。
삼성(サムスン)は경남(慶南)의령(宜寧)出身の이병철(李秉喆)が大邱で創業、LGの前身である럭키 금성(ラッキー金星)は진주(晋州)出身の구인회(具仁会)が、롯데は蔚山出身の신격호(辛格浩)が創業した。
浦項総合製鉄(現POSCO)初代社長の박태준(朴泰俊)は釜山出身で、朴正熙元大統領がクーデター後に立ち上げた国会再建最高会議のメンバーでもあった。
1982年にスタートした韓国プロ野球は、서울や大邱、광주(光州)、釜山など主要6都市を縁故にする企業がそれぞれチームを保有することになった。
大邱は삼성 라이온즈(サムスン・ライオンズ)、釜山は롯데 자이언츠(ロッテ・チャイアンツ)となったが、LGは創設メンバーに入らなかった。
プロ野球を創設する際の企業選定期間に、グループオーナーが海外出張に行っていたため参加意思が確認できず、見送られたという。
LGは後にソウルを本拠地にするMBC청룡(青龍)を買収し、1990年からLG트윈스(LGツインズ)として参加した。
大邱はもともと高校野球が盛んな地域で、サムスンには이승엽(李承燁)が在籍したのをはじめ、多くの大邱出身選手が所属している。
釜山は熱狂的なファンの応援が有名で、球場には「부산갈매기(釜山カモメ)」の曲が鳴り響く。
肝心の成績の方は、最下位を経験したことがないサムスンと、公式戦1位を経験したことがないロッテで、対照を成している。
TK:一口に「慶尚道」「嶺南」といっても、大邱・慶尚北道と釜山・慶尚南道は政治的な志向が異なるので、特に政治トピックにおいて両者を区別する際に、「大邱・慶北」「釜山・慶南」、あるいはそれぞれのローマ字表記の頭文字を取って「TK」「PK」と呼ぶ。つまり「TK」といえば、韓国では保守本流を象徴する言葉と言える。なお、「釜山・慶南」「PK」という呼び方には、本来慶尚南道の一部で後に広域市に昇格した蔚山が含まれないため、報道などでは부울경(釜蔚慶)という呼び方を使うこともある。
※2000年に韓国の文化観光部(当時)により定められたローマ字表記法では「大邱・慶北」はDG、「釜山・慶南」はBGとなるが、慣例的にそれ以前から使われていた「TK」「PK」を使っている。
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